2017/12

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現在はタレント兼団子屋経営者。本名は輪島 公一(読み同じ)。北海道士別市出身。身長170cm。血液型はB型。世界スーパーウェルター級王座を3度獲得(1度目と2度目はWBA、WBC統一王座。3度目はWBAのみ)。"炎の男"の異名を持ち、"かえる跳び"等で知られる変則右ボクサー。具志堅用高、ガッツ石松、輪島功一の三人でボクシング界の重鎮として共演することが多い。生まれ故郷の樺太が3歳の時にソ連領となり、北海道に移住。士別開拓作業に彼の両親は苦労。過酷な労働を強いられるも暮らしは楽にならず、一時期久遠村(のちの大成町、現在は合併によりせたな町)に養子に出された。
養父母に養われていた中学時代は夕方から明け方まで漁師の仕事(本人曰くアルバイト的なものではなく家族で生計を立てるためのもの)もした。大人たちは明け方から寝るが、輪島少年は学校へ行く時間。寝る時間は授業中しかない生活(本人談)が続く。
放課後、漁に出るまでの時間、友達と野球をして楽しむ。その当時から超人的なスタミナや並外れたど根性が培われた。
「みんな、俺の事を苦労したんだなあと言ってくれるんだけど、当時、俺は苦労だとか思った事がなく、当然誰もがしてる事だと思ってた」(自伝より)。
いつもはケンカなどはしない輪島少年だが、友達をいじめたり暴れたりする上級生がいれば「許さん!」と立ち上がり、1対1でバスケットボールのゾーンで殴りあい、相手を負かして「正義の味方」と呼ばれた。決して乱暴者や不良ではなく、腕白だが友達思いの優しい少年であった。
のちに所属する三迫ボクシングジムの会長・三迫仁志は輪島を評し、「輪島のすごいところは苦労人に在りがちな暗い表情が全く無く底抜けに明るくてひょうきんなところだ。たくさんの友人がいて、みんなが楽しそうにしてるのを見たら輪島の人柄がわかるでしょう」と愛弟子を自慢げに語る。
士別高校中退し上京。トラックの運転手などいくつかを経て、住み込みの土木作業員として働いていた。輪島本人が後年語ったところによれば、当時は若く体力が有り余っており、一日中過酷な肉体労働をしても疲労を感じないことに奇妙なストレスを感じていたのだという。そしてある日、作業現場からの帰り道にあったことから頻繁に練習風景を眺めていた三迫ボクシングジムに入門。この時のことを輪島は「一所懸命稼いだ金を、酒や博打のような下らないことに使いたくなかった。道場に通えば、疲れてくたくたになるまで思う存分ボクシングに没頭できる。毎日見ていて面白そうだったし、丁度いいじゃないかと思った」と述懐している。その後輪島は楽しげにジム通いを続け、半年後にはプロライセンスを所得するまでに腕を上げる。そしてボクシングを始めて約1年後にあたる1968年6月15日、プロボクサーとしては極めて遅い25歳という年齢でデビュー。その後7連続KO勝ちを収め、翌1969年には全日本ウェルター級新人王に輝いた。なおこの時期輪島は勤務していた建設業社の社長からボクシングでの活躍を認められ、正社員に昇格。社員として身分を保証すると共に、プロボクサー活動に専念することを許された。
1969年9月4日、日本スーパーウェルター級王座獲得。一度は王座防衛に失敗するも、すぐさま奪回に成功。1971年10月31日、東京・両国の日大講堂で世界初挑戦。WBA・WBC世界スーパーウェルター級王者カルメロ・ボッシ(イタリア)に挑む。素早いダッキングで相手の視界から消え、次の瞬間跳ね上がるようにしながらパンチを繰り出す「かえる跳び」で一躍有名になる。試合は15回判定勝ち。世界王座奪取に成功。この頃から三迫会長の実兄の長男三迫将弘が輪島の付け人やスパーリングパートナーを務めていた。しかし、当の試合は郡司信夫に「あんなのはボクシングではない」と酷評されてしまった。しかし、輪島はそんな言葉をあざ笑うかのように、今度は正統派のボクシングで防衛を重ねていくことになる。
翌1972年5月7日の初防衛戦ではドメニコ・チベリア(イタリア)を開始109秒でKOし、その後、通算6度の防衛に成功。
1974年6月4日、オスカー・"ショットガン"・アルバラード(米国)を挑戦者に迎え、7度目の防衛戦を行う。しかし最終15回KO負けを喫し、王座から陥落。この試合で輪島が負ったダメージは深く、試合後病院に直行しそのまま入院するほどだった。一時は医師から引退を勧められるも、退院後間もなく再起に向けトレーニングを再開。この頃輪島はアルバラード戦で得た教訓から、現在でいうインターバルトレーニングを導入している。
そして王座陥落から7か月後の1975年1月21日、アルバラードと再戦。15回判定勝ちで雪辱し、WBA・WBC王座返り咲きに成功。しかし輪島陣営が次期挑戦者を当時WBA世界ランキング1位の柳済斗と発表したのに対し、WBCコミッション側は同団体世界ランキング1位だったミゲル・デ・オリベイラとの対戦を要求。両者話し合いを行うも解決を得ず、輪島は王座獲得からわずか2か月後の3月22日にWBC王座剥奪という憂き目をみた。
同年6月7日の初防衛戦で柳済斗(韓国)と対戦。しかし7回KO負けを喫しWBA王座から陥落、これにより両世界タイトルを失う。だが、翌1976年2月17日、柳と再戦し15回KO勝ち。2度目の世界王座返り咲きを果たす。5月18日の初防衛戦でホセ・デュラン(スペイン)に14回KO負けを喫し、三たび世界王座から陥落した。
1977年6月7日、3度目の世界王座返り咲きを懸け、WBA王者のエディ・ガソ(ニカラグア)に挑むも、11回KO負けを喫し、結局この試合を最後に引退。
最終戦績は31勝(25KO)6敗1分。
現在は東京・西荻窪で『輪島功一スポーツジム』を運営。後進の指導に当たる一方、だんご店『だんごの輪島』経営









WORLD PREMIUM BOXING vol.9
〜世界タイトルマッチ〜
<日時>2009年7月14日(火)  
<会場>神戸ワールド記念ホール
WBC世界バンタム級チャンピオン
長谷川 穂積
(真正)
12R
WBC世界バンタム級第4位
ネストール・ロチャ
(アメリカ)
高山勝成 WBA世界ミニマム級王者
ローマン・ゴンザレス
(ニカラグア)

リングサイドA 予約受付中 30,000円
リングサイドB 予約受付中 20,000円
リングサイドC 予約受付中 10,000円
アリーナA 予約受付中 30,000円
アリーナB 予約受付中 20,000円
2階A 絶予約受付中0,000円
2階B 予約受付中 20,000円
2階C 予約受付中 10,000円
自由席 予約受付中 5,000円

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輪島功一vsカシアス内藤