2018/05

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2000年2月19日、モラレスーバレラ第一戦で死闘
2000年2月19日に同じメキシコ出身で人気を二分する同世代のボクサー、当時WBCのスーパーバンタム級王者だったエリック・モラレスとラスベガスで初めて対戦する。バレラは12ラウンド判定負けするも、この試合はリングマガジンの2000年度ファイト・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。また、この試合をWBC側は統一戦と認定しなかったが(マネージャーのリカルド・マルドナドとWBC会長のホセ・スレイマンの長年の確執のため。ただし、エリック・モラレスとのラバーマッチ前にマルドナドとのマネジメント契約を破棄している)、WBO側は認めていたため、モラレスはしばらく同級WBO王者に認定されることになる。しかしWBOはこの試合でバレラが負けたとされるのは間違っているとして、ジャッジの公式判定を無視しバレラを再び王者に認定することになる。


1974年2月17日、山口圭司、北海道・函館に誕生

山口 圭司(やまぐち けいじ、男性、1974年2月17日 - )は、日本の元プロボクサー。北海道函館市出身。元WBA世界ライトフライ級王者。左ボクサータイプ(コンバーテッドサウスポー)。グリーンツダボクシングクラブ所属。
来歴
1992年5月17日、プロデビュー。ちなみに、当時のWBA世界ライトフライ級王者はジムの先輩である井岡弘樹。その1か月後の6月15日、井岡の世界戦前座でデビュー2戦目を迎える。その後も井岡の世界戦前座に2度登場。
1994年9月19日、14戦目で日本王座初挑戦。座嘉比勝則と空位の日本ライトフライ級王座を争い、10回判定勝ち。王座獲得に成功。以後、3度の防衛を果たし、1995年7月に王座返上。
1995年9月5日、世界初挑戦。WBA世界ライトフライ級王者・崔煕庸(韓国)に挑むも、12回判定負け(1-2)で王座獲得ならず(1か月半前に急遽決まった世界初挑戦ということもあり、コンディション調整がままならず、減量だけで精一杯という状況だった)。
1996年5月21日、世界再挑戦。1月に崔を降してWBA世界ライトフライ級王座を獲得したカルロス・ムリーリョ(パナマ)に挑む。強打の王者相手に怯むことなく、アウトボクシングで攻略。12回判定勝ち(2-1)を収め、ちょうど20戦目にして世界王者となった。
1996年8月13日、初防衛戦。前王者ムリーリョと再戦し、前回以上の差を付けての12回判定勝ちで返り討ち。
1996年12月3日、2度目の防衛戦。1位ピチット・チョーシリワット(タイ)との指名試合を迎える。初回こそ静かな立ち上がりであったが、続く2回、挑戦者の右フックをまともに浴び、痛烈なダウン。立ち上がったものの、レフェリーに試合を止められTKO負け。半年余りで世界王座から陥落した。試合後、減量苦を理由にフライ級への転向を表明。
1997年11月22日、フライ級での世界挑戦。WBA世界フライ級王者ホセ・ボニージャ(ベネズエラ)に挑む。2月に先輩・井岡の挑戦を退けた小柄な王者相手に序盤は優勢に試合を進めるも、迎えた6回、左の相打ちでダウンを奪われ、そのままレフェリーストップによるTKO負け。2階級制覇を阻まれる。その後、フライ級でも減量が苦しくなったことからスーパーフライ級転向を表明。日本王座から出直すことになる。
1998年10月25日、日本スーパーフライ級王者名護明彦に挑戦するも、10回判定負けを喫し王座獲得ならず。日本人選手相手に喫した初の敗戦であった。
1999年、グリーンツダジムを離れ、元世界スーパーフェザー級王者小林弘が会長を務めるTAIKOH小林ジムに移籍。
1999年9月5日、2年ぶりの世界挑戦。WBC世界スーパーフライ級王者・曺仁柱(韓国)に挑むも、最終12回に2度のダウンを奪われた末の判定負けを喫し、またしても2階級制覇ならず。
2000年、TAIKOH小林ジムを離れ、新日本木村ジムへ移籍。
2000年10月10日、移籍初戦で有永政幸(後の日本ならびに東洋太平洋スーパーフライ級王者)と対戦するも、4回TKO負け。この敗戦で世界戦線から完全に脱落。なお、この試合は東洋太平洋バンタム級王座挑戦に向けての前哨戦と位置付けられていたが、KO負けで挑戦は取り止めとなった。
2001年5月5日、フィリピンの首都・マニラでWBCインターナショナルスーパーフライ級王座挑戦。元WBC世界スーパーフライ級王者ジェリー・ペニャロサ(フィリピン)に挑むも、初回TKO負け。
2002年、TAIKOH小林ジムに復帰し、4月8日、元日本バンタム級王者・瀬川設男とノンタイトル戦を戦うが3回TKO負け。これで3戦連続KO負けとなり、結局この試合を最後に現役引退。11月、グリーンツダジム時代の後輩・本田秀伸の世界初挑戦の興行で引退式を行った。
引退後は先輩・井岡が開設した「井岡ボクシングジム」のチーフトレーナーに着任し、現在に至る。



1970年2月16日、ジミー・エリスを4回KOで破り、WBA王座を吸収し、統一世界ヘビー級王座に就く。1970年のリングマガジンのファイターズ・オブ・ザ・イヤーに選出された(2度目)。

ジョー・フレージャー("Smokin'" Joe Frazier、男性、1944年1月12日 - )は、アメリカ合衆国のプロボクサー。身長182cm。リーチ187cm。「スモーキング・ジョー」と称される機関車のような突進力とスタミナを備え、リズミカルに上体を揺すり、相手の攻撃を避けながらクラウチングスタイルからの左フックを得意とする。ボクシング史上最強と名高いモハメド・アリをプロボクサーとして初めて敗北させたボクサーである。息子のマーヴィス、娘のジャッキー、甥のロドニーもプロボクサー。- Wikipedia



1978年2月15日、プロ9戦目のレオン・スピンクスがモハメド・アリに判定勝ちし、WBA・WBC世界ヘビー級王座を獲得。

レオン・スピンクス(Leon Spinks、男性、1953年7月11日 - )は、アメリカ合衆国のプロボクサー。ミズーリ州セントルイス出身。悪名高いゲットー、プルーイット・アイゴー育ち。
弟は、元IBF世界ヘビー級チャンピオンのマイケル・スピンクス。息子のコーリー・スピンクスも現在IBF世界スーパーウェルター級チャンピオン。
モントリオールオリンピック金メダリスト。
少々性格に難があり、ボクシングの歴代ヘビー級チャンピオンが集まったパーティでトレバー・バービックと壮絶な喧嘩をし、その映像が全世界に配信されたことがある。- Wikipedia